神は存在する

2023年7月16日
日本には、この世界が神によって造られたということを信じない人がたくさんいます。そもそも神の存在を認めない人が大多数です。私も以前はその一人でした。しかし、聖書は「被造物を見るならば、全てを造られた神がいることは、弁解の余地がないほど明らかである」と語っています。 > それゆえ、神について知らされることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。 (ローマ人への手紙1章19-20節) 例えば、どこにでも売られているペットボトルの容器は、誰かがデザインして意図して作らなければ存在しません。もしも今、あなたの目の前にペットボトルを差し出されて「このペットボトルは、人間は何もしてないのに、偶然に偶然が重なって100年くらい経ったら、自然と出来上がっていたんだ」と言われても、到底信じられないでしょう。そんなことはあり得ないからです。 物理学の熱力学第二の法則に出てくる〈エントロピーの増大の法則〉は、この世のすべての物事は何も手を加えない限り、散り散りばらばらになっていくという一方通行にしか進めないことを説明しています。誰かが外部から力を与えない限り、自然にほったらかしておいて物事が局所的に不自然に形成されることは起こり得ないということです。秩序から無秩序になることはあっても、自然にほったらかしたままで無秩序から秩序が生まれることはないのです。ペットボトルは、誰かがデザインし、誰かが形作ったので存在するのです。 しかし、この世界にはペットボトルよりもっと複雑なものが存在します。例えばカメラです。カメラは複雑な機械であり、ペットボトルよりももっと精密な設計やデザインによって誰かが造ろうとしなければ存在しません。 しかし、また世界にはカメラよりもっと複雑なものがあります。それは動物の「目」です。カメラはこの動物の目を模倣したに過ぎません。動物の目はデジタルカメラのようです。動物の目は網膜という光センサーでキャッチした情報を、電気信号として脳へ伝えることで動物が映像を認識することを可能にしています。そしてこの動物の目は、人間が作ったデジタルカメラよりもっと繊細で複雑で柔軟なシステムを持っています。自然界に目を向けるならば、動物の目だけでなく様々な草木や天体にも驚くべき仕組みがあります。 ペットボトルやカメラでさえ誰かが意図して造らなければ存在しないのに、それよりももっと複雑なシステムを持った動物や自然や天体が、誰も何もしていないのに偶然にできたというのは論理的ではありません。誰かがデザインして作ったから、存在するのです。 一体誰が作ったのでしょうか。そのデザイナーは誰なのでしょうか。そのデザイナーは神に違いありません。 被造物を見れば、神が存在することは弁解の余地がないほどはっきりと示されています。しかし、人は非論理的に神がいないことを信じようとします。これは、とても危険なことです。誰も親なしで生まれた人はいません。そして、その親を大切にすることは美徳とされています。それは親があなたの命を産んだからです。それと同じように自分の存在を造り出した創造者がいなかったように生きることは不健全なことです。 しかし、人は神が目に見えない存在であるがゆえに、神が創造者であったことを忘れ、自分はその恩恵に預かって生かされているということを忘れて高慢になりやすいのです。これが、人間の持っている罪の性質です。
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